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福井地方裁判所武生支部 平成3年(ワ)46号 判決

原告

有限会社北陸ホームケアーシステム

右代表者取締役

笠嶋隆一

右訴訟代理人弁護士

宮本健治

被告

エイアイユーインシューランスカンパニー

右日本における代表者取締役

得平文雄

右訴訟代理人弁護士

服部邦彦

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告は、原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する平成三年六月二五日から支払い済みまで年五分の割合による金銭を支払え。

第二事案の概要

一当事者間に争いがない事実

1  原告は、昭和六三年三月一日、被告との間で次の傷害保険契約を締結した(以下「本件保険契約」という)。

(1) 被保険者 A(当時の原告代表取締役、以下「A」という)

(2) 保険期間 昭和六三年五月一日から一年毎の自動更新で一〇年間

(3) 死亡保険金 五〇〇〇万円

(4) 保険金受取人 原告

2  Aは、平成二年一一月三日午後三時ころ、普通乗用自動車を運転して、福井県今立郡今立町粟田部五八―七先の鞍谷川に転落し、死亡した(以下「本件事故」という)。

3  本件保険契約においては、被告は、被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によって身体に被った傷害(死亡含む)に対して保険金を支払い、被保険者の故意、又は自殺行為による傷害(死亡)については、保険金を支払わない旨の約定がある。

二本件は、Aの死亡により、本件保険契約に基づき、死亡保険金の支払いを請求するものである。

原告は、本件事故には不自然な点はあるが、Aが自殺したことは被告が立証すべきであり、自殺であると認定することはできないと主張している。

三被告の主張

本件事故が自殺でないことは原告が立証すべきものである。本件事故の内容、原告の経営難、A個人の経営的困窮、Aが持病のてんかんを苦にしていたことからみると、本件事故が自殺でないとは認定できない。よって、保険金の支払いはできない。

四本件の争点は、立証責任の分配、本件事故が自殺によるものかどうかである。

第三争点に対する判断

一立証責任の分配について判断する。

傷害保険は、本来被保険者の負傷・死亡自体が保険事故となるものでなく、不慮の事故による被保険者の負傷・死亡が保険事故となるものである。本件保険契約の約定もそのような形式になっている。したがって、本件事故が不慮の事故、すなわち自殺でないことは、保険請求者である原告が立証責任を負うと解すべきである。

もっとも、自殺かどうかは被保険者の意思にかかることであり、厳密にその立証をすることは困難であるから、事故の態様その他周辺の事情により、自殺でないことが推認できれば良く、そのような推認ができれば、逆に保険者の方で自殺を疑わせる別の事情を立証すべきである。

二本件事故の態様等について検討する。

1  本件事故の態様

〈書証番号略〉及び検証の結果によれば、以下の事実が認められる。

本件事故現場は、鞍谷川の堤防であるが、A運転車両は、幅員約三メートルの舗装道路(農道)を直進した上、これに続くほぼ同じ幅員の未舗装河川管理道路を進み、堤防から流水部分を飛び越えて、その前部が堤防から約一三メートル先の反対側堤防のコンクリート護岸側壁に衝突した。A運転車両の前部は正面からの力で圧縮され大破し、フロントガラスは破損し、フロントガラスの運転席前方部分にAの頭髪が数百本付着していた。Aは、シートベルトをしておらず、死因は衝突の衝撃による頸椎六番の骨折である。この未舗装河川管理道路は、河川管理上の道路で橋に続いておらず、農道は右未舗装道路との接続地点で左に曲がっている。A運転車両が鞍谷川に飛び込んだときの速度は、推定で時速約一〇〇キロである。

2  本件事故現場付近の状況

〈書証番号略〉及び検証の結果によれば、以下の事実が認められる。

本件事故現場付近は、鞍谷川の対岸に自動車解体場、北側に工場が一つある以外は、全て農地であり、民家は全くない。また、車両が多く通行している県道・市道からは五〇〇メートル以上も入っており、農道の幅員が狭く、普通車のすれ違いは出来ない。そのため、近道としても利用されておらず、農道の車両の通行量はほとんどない。

三Aの生活状況について検討する。

1  仕事について

〈書証番号略〉、証人Bの証言及び原告代表者本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

Aは、かつて薬品関係の会社に勤務していたが、昭和六二年四月、知人の笠嶋隆一(現在の原告代表者、以下「笠嶋」という)とともに原告会社を設立し、代表者に就任した。原告の資本金は、二〇〇万円で、Aが一〇〇万円、笠嶋が八五万円、その他の者が一五万円を出資した。Aの出資金は、A自身の資金ではなく、両親から借りたものである。平成元年に資本金を五〇〇万円に増資したが、増資資金はAが全て調達した。

原告の営業内容は、医薬品・老人介護用品の販売である。Aが仕入、経理全般を担当し、笠嶋が販売を担当するという役割分担のため、笠嶋は会社の経理状況はあまり知らなかった。従業員数は、時期によって変遷があったが、本件事故当時は一名であった。

原告の決算期は毎年七月末日であるが、昭和六三年七月以後の毎期の売上・営業利益・当期利益の状況は、次のとおりである。なお、各数字の単位は万円で一万円未満は四捨五入しており、△はマイナスである。

決算期 売上 営業利益 当期利益

63.7 三八二九 △七五八 △七五九

元.7 三九四二 △一九八 △一九三

2.7 四一六六 △三八八 △三九五

原告の借入先は、A及び笠嶋の各個人と金融機関であるが、金融機関への返済は約定どおりなされていた。原告の資産としては、店舗は賃借のため不動産はなく、現金・預金が平成二年一〇月現在で二〇数万円程度で、その他は有価証券、商品等である。平成二年七月末日現在、原告の資産は約一八三二万円であるのに対し、負債は約三〇三二万円で大幅な債務超過になっていた。笠嶋は、毎月二三万円の役員報酬を実際に貰っていたが、Aは毎月二五万円の役員報酬の大部分をそのまま原告に貸付け、実際には貰っていなかった。

2  個人的な経済状況について

〈書証番号略〉及び証人Bの証言によれば、以下の事実が認められる。

Aの死亡時の預金は合計二〇数万円程度で、逆に銀行からの借金が六〇万円程度であった。他に、Aは、原告に四一五万円を出資し、原告に一〇〇〇万円以上を貸し付けていたが、他の財産はなく、原告設立の際に両親から借りた一〇〇万円については、全く返済しておらず、両親に生活費も渡していなかった。

3  私生活について

〈書証番号略〉及び証人Bの証言によれば、以下の事実が認められる。

Aは、平成二年五月に妻と協議離婚し、子供は妻が引き取ったので、両親との三人暮らしであった。父親は痴呆の症状が出ており、母親が看病をしていた。Aは、同年夏ころから原告店舗の近所に住むC(以下「C」という)と交際を始め、やがてCと結婚することになり、同年一〇月二八日に双方の両親が集まって二人の婚約を確認した。なお、Cも再婚であり、前夫との間に一人の子があった。Aは、Cに対し、自己の収入について、月収三〇万円程度と説明していた。

4  てんかんの持病について

〈書証番号略〉及び証人Bの証言によれば、以下の事実が認められる。

Aは、昭和五六年からてんかんにより、福井市の福仁会病院で投薬治療を受けていた。Aは、平成元年に取引先と東京ディズニーランドに旅行した際に宿泊先のホテルでてんかん発作を起こし、平成二年五月には原告店舗でてんかん発作を起こして救急車を呼ぶ騒ぎになったことがある。そのため、笠嶋や原告の従業員は、Aのてんかんのことを知っていたが、Aは、Cからてんかんの事実を聞かされた際にはこれを否定し、Cにはてんかんの事実を隠していた。

5  本件事故直前の行動について

〈書証番号略〉及び証人Bの証言によれば、以下の事実が認められる。

本件事故の前日には、Cとその子がA宅を訪問し、談笑して帰った。本件事故当日は、原告店舗は休日であったので、Aは、昼近くまで寝ており、昼食後、会社に出ると言って自宅を出発した。特に変った様子はなく、午後にCと会う約束もしていた。Aは、福井市岩倉町の自宅から会社に行くには、今立郡今立町を経由して武生市に入っていた。

四本件事故が自殺でないといえるかどうかについて判断する。

1 以上に検討したところによれば、本件事故は、あまり車両の通行しない幅員の狭い農道を時速一〇〇キロもの速度に加速した上、未舗装の道路に進入し、川に飛び込んだものであって、態様自体からみて過失による転落事故とみることはできない。〈書証番号略〉によれば、Aは、自動車を運転するときは、常にシートベルトを着用していたことが認められるが、本件事故の際シートベルトを着用していなかったことも、過失による事故とみれない事情である。

Aがなぜ本件事故現場近くの農道を走行していたのかという疑問について、原告代表者は「Aは、県道を走行中にポケベルが鳴ったので、近くの公衆電話に行くためにいつも走行している県道(武生・大野線)から農道に入ったのではないか。」と供述している。しかし、〈書証番号略〉及び検証の結果によれば、本件事故現場の南方に公衆電話はあるが、県道(武生・大野線)から本件事故現場近くの農道を走行してその公衆電話に行くには、狭い農道を何度か曲がりながら走行する必要があり、かつ武生市街から遠ざかる形になることが認められるから、公衆電話を探すとすれば、県道をそのまま走行し、武生市街に近づくのが通常と考えられる。したがって、公衆電話をかけるために本件事故現場の農道に入ったとは考えられない。

Aは、てんかんの持病があったから、農道を走行中にてんかんの発作が起こり、身体が一時的に硬直し、ハンドルを強く握り、アクセルを強く踏み続けたまま川に飛び込んだという可能性は理屈としては考えられる。しかし、そもそもなぜ農道を走行する必要があったのかは明らかでない。また、〈書証番号略〉及び原告代表者本人尋問の結果によれば、Aは、てんかんの発作が起きると、けいれんが起こり、手足が硬直し、やがて全身の力が抜けていくことが認められるが、本件事故現場に直線状に向かった地点で硬直が発生し、かつ時速約一〇〇キロに加速されて川に飛び込むまでの間自動車が直進できるような硬直状態が続く必要があるが、偶然が重ならなければそのような結果は生じない。このように可能性が極めて低いことと、農道を走行していた疑問が解消されない以上、てんかん発作による事故とみることはできない。

2 自殺の動機の面を検討する。

Aは、Cとの再婚が決まり、表面的には幸福な状態にあったが、Cには月収三〇万円といっていたものの、経営している原告は赤字続きで、自分の役員報酬も大部分は会社の運転資金に充てなければならない状態であり、預金もほとんどなく、Cと再婚して前夫との子も養育しなければならない状態になったとき、経済的な困難に直面することは明らかである。

確かに、原告が赤字続きといっても、第三者からの借入は少なかったので、倒産の危機にあったというほどではなく、Aは、原告の経営について、母親や笠嶋に深刻に相談した事実も認められない。ただ、証人Bの証言によれば、両親はもともとAの独立に反対していたことが認められるし、Aが責任をもってやっている以上、母親や笠嶋に簡単に相談するわけにはいかなかったと考えられる。何よりも、A一人であれば辛抱して経営を続けることが可能でも、Cに生活費を渡さなければならない状態になれば、従来とはその厳しさが一変するということである。なお、〈書証番号略〉及び笠嶋本人尋問の結果によれば、Aは事業拡大計画を有していたことが認められるが、この計画には資金的裏付けが何らなく、単なる構想にすぎない。

また、Aは、Cにてんかんの持病を隠していたが、結婚生活に入ればその事実が発覚することは明らかで、その場合には夫婦の信頼関係に重大な影響が生じることが予想され、Aはそのことも心配していたと考えられる。

このようにみると、Aは、Cとの再婚が決ったとはいえ、経済的な面とてんかんの問題についてCに虚偽の事情を説明しており、結婚生活が順調にいけるかどうかについて大きな不安を感じ、相当な悩みを持っていたと考えられるから、自殺の動機になる事情はあるといえる。

3 本件事故前に、Aが「死にたい」旨を誰かにもらしたり、又は自殺を窺わせる言動があったとはみられないし、遺書もない。

右事実は、本件事故が自殺でないと考えうる一つの事情ではあるが、既に検討した本件事故の態様や自殺の動機の存在からみると、本件事故が自殺でないといえるだけの十分な事情にはならない。

4 したがって、本件事故が自殺でないという推認はできず、本件事故が自殺でないとは認められない。

五以上の事実によれば、その余の争点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判官永野圧彦)

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